瞑想と座禅ってどう違うの?
こんにちは。トムです!
皆さんは日常生活の中でヨガや瞑想をやったことはありますか?
現代的ストレス社会を反映し、ヨガや瞑想が大ブームとなって久しいですが、一方、座禅をやった事がある人と聞けば急にトーンダウンしてしまいます。
どうも一般の方には敷居が高いようです。
- お寺にいかないとダメ
- 儀式的でとても難しそう
- 棒で叩かれるので怖い
しかし、アップルのカリスマ創業者「スティーブ・ジョブズ」は皆さんが日頃使っているiPhone生みの親として有名な方ですが、彼が禅に対し一方ならぬ関心を持っていたと聞けば急にその興味が湧いてくるのではないでしょうか?
彼は曹洞宗(そうとうしゅう)の大本山である永平寺で修行も計画していたと言われています。
そして愛読書として名高い『禅マインド ビギナーズ・マインド』は、アメリカにおける禅の基礎を築き、今や世界24カ国以上で翻訳されている禅のバイブルとなっています。
禅の修行のポイント、姿勢、応用的な生活術といった実践的なエッセンスが詰まっています。
本ブログでもぜひスポット的にご紹介していきたいと思っている書籍です。
瞑想と禅ってどう違うの?
トムへの質問の中でも最もポピュラーなのが瞑想と座禅の違いです。
どちらもビジュアル的には目を閉じてじっと動いてませんよね?
大雑把に言えば、瞑想という広いカテゴリーの中に座禅というものがあります。
つまり、座禅は仏教的な瞑想という位置付けなんです。
また同じ座禅でも仏教の宗派によってやり方が違います。
例えば禅宗の曹洞宗は壁に向かい座りますが、臨濟宗は壁を背にし、さらに禅問答もあります。
アニメにもなった一休さんは有名ですね。
瞑想と座禅は親戚みたいな関係なので、方向性は基本的に同じなんですが、決定的な違いが一つあります。
それは半眼の有無。
一般的に瞑想では目を瞑(つむ)ります。
しかし、座禅では1.5m先に視線を落とします。
そうすると結果的に半眼状態になるというわけです。
座禅では目をつむらないの?
座禅の特徴として完全に目をつらない「半眼」状態を維持しますが、なぜ目を瞑らないのでしょうか?
この理由付けは宗派やお坊さんによって意見が大変別れるところでありますので、トムの私見ということで少し解説をお許しください。
一般的な瞑想のイメージする世界は完全に目をつぶりリラックスする姿です。
しかし、座禅では目を完全に閉じずに視界にリアルな世界が入ってくる状態なのでリラックスしたり集中力が養われるのでしょうか?
そう疑問に思うのも当然だと思います。
まず、半眼についてですが、半眼そのものに意味があるのではなく、基本的な座禅のスタイルとして結跏趺坐(両足のくるぶしを反対側の腿の上に乗せる)なり半跏趺坐(片方だけ)なりをして目線を約1.5m前に自然に落とします。
つまり、半眼自体になにかパワーがあるわけではなく、自然体の極みとして半眼があるという結論なんです。
意図的に目を瞑るという事をしないという解釈です。
だから眠くならないようにとか、そこに能動的な意図は存在しません。
世界一わかりやすい座禅のポイント
坐禅とは「息を吐き出す」ところから始まります。
具体的に言いますと、吐く時は口から、吸う時は鼻から呼吸をします。
まず、口から肺の中にある空気(体の中の邪気、娑婆気を全部吐き出す気持ちで)を長めに時間をかけて吐き出します。
次に口を結んで鼻から空気を吸い込むみます。
これを2~3回繰り返します。
そして、結跏趺坐または半跏趺坐の状態で両手を膝の上において左右に体を揺らします。
結跏趺坐って何?↓↓↓
僧侶トリビア
ヨガや座禅は元々古代インドで始まった修行法であるが、アクロバティックなポジションが要求される。仏教の座禅においては #結跏趺坐 と呼ばれる難易度の高いポーズが要求され苦痛を伴う。しかし手足の長いインド人にとっては子供でもすぐに出来てしまうという皮肉。#法界定印 pic.twitter.com/SldNOzotK8
— TomFu (@TomFu83622412) April 26, 2021
つまり、これから座禅の時間(線香1本が燃やす)を座るための安定的なポジションを作るわけです。
体の揺らし方ですが、最初は大きく段々小さくしていきます。
最後に法界定印を結び上半身を前に傾け背筋を伸ばしながら上半身を起こして正しい姿勢、坐禅の姿勢におさめます。
法界定印?!
実は、我が真言宗と禅宗では手の置き方が逆なんです。
日本の宗教儀式ってなんだか複雑ですよね。
こちらを参照↓↓↓
僧侶トリビア
座禅のシンボル #法界定印 は宗派によって右手と左手が逆になる。我が真言宗では胎蔵曼荼羅の大日如来の手印として左の掌の上に右手の甲を重ねるが日蓮宗や曹洞臨済宗などでは逆になる。日本の仏教ってややこしいな pic.twitter.com/UA22uJgYK5— TomFu (@TomFu83622412) April 26, 2021
文章で書くととても難しく思うかもしれませんが、トムから伝授されると誰でもすぐに会得できます。
そして、ポイントは意識の持ち方です。
基本的に手のひらにもっていきます。
そして、余計な事を考えずに無心になります。
と、言いたいところですが、生きている限り、いきなり何も考えないって無理なんです。
トムも修行中はついついゴルフの事とか色んな事が頭に浮かび、邪念の塊でした。
しかし、高層の方の有難いお話を聞き非常に納得しました。
「見れば見っぱなし」、「聞けば聞きぱなし」「考えたら考えぱなし」にするのがポイントです。
つまり、頭に色んな事が浮かんでもそれ以上追わずに放置します。
そのトレーニングの積み重ねがいわゆる集中力と言われるものへ繋がるんですね。
どうですか?
分かりやすいでしょ?
だから、半眼状態で1.5m先の景色が視界に入っても怖くありません。
でも同じ僧侶でも座禅への見解については千差万別で、お釈迦様の時代から随分と変遷を遂げているので、自分がシックリくる教えを探しながら取り入れていくのが良いと思います。
日常生活への応用
さて、ここまで物凄く簡潔に座禅について話をしましたが、大事なのは如何に日常生活へ取り入れていくかということです。
基本的に座禅はお寺の座禅会へ参加したり、自宅の居間でやるのがスタンダードですが、忙しい現代人にとって通勤途中の僅かな隙間時間に出来たら便利ですよね。
仏教の座禅はやたらと儀式的に見えますが、基本的にストレスフリーな精神状態をつくり、最高のパフォーマンスを発揮する集中力を養うためのメソッドなんです。
次回は、日常生活の中で時間を取らずにやれる座禅について語りたいと思います。
ぜひご覧ください!
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