こんにちは!トムです。
前回の記事では、仏教的なお金にまつわる考え方について言及しました。
まず、日本に来た外国人が驚くこと。
それはコスパの高さ。
コンビニのスタッフのサービスも商品もまるで5スターホテル並みらしいです。
確かに、海外は料金とサービスのクオリティが忠実に比例しており、コンビニで丁寧な接客を受けることはありえないですね。
東京オリンピック開催の際、来日したカナダの記者が宿泊したホテル併設のセブンイレブンのクオリティに驚愕し、試合内容そっちのけでコンビニアイテムの紹介ばかりしていたとか。
一方、日本の驚愕のコスパを支える裏舞台はブラック。
老後2000万円問題。
空港のお掃除をしているシニアをみて外国人観光客は驚きます。
日本人は老人になっても働き続けなければなりません。
かつての経済大国日本はお金の事で苦しむ時代となっております。
ところで、そのお金に関する意識ですが、お釈迦様もお金の取り扱いについて説かれています。
結論として仏教は他の宗教と異なり、お金儲け自体を禁止していません。
それどころか、勤労を奨励する考えがあります。
大事なのは使い道というわけですね。
今回はお釈迦様が説かれた正しいお金の使い道と管理法について触れてみたいと思います。
お釈迦様の財務管理
お釈迦様の教えの中でお金に関する最も端的な考え方が四分法です。
これは収入を4分割し各カテゴリーに当てはめるというものです。
収入の2/4を仕事の予算(原価や設備投資)に充てます。
4分の1を家計へ、残りの4分の1は蓄財します。
とてもシンプルな考えですが、四分法は現在の投資信託のポートフォリオでも使われる基本概念となっております。
お釈迦様が説いた25%の蓄財の必要性。
これを現代社会の生活にそのまま当てはめるのは少し無理がありますが、お金に関する規律を確立し守るという行動も修行の一環というわけです。
さて、ここまでは稼いだお金を規則正しく運用するというお話でしたが、ここからはより具体的な内容に進んでいきます。
何もしない若者こそ罪
法句経
「年若くして宝を得ることなく、身を慎むこと清からざれば、彼は滅びにゆくなり。まこと魚なき池に老いはつる鴻のごとく。」
意訳するとこんな感じです。
若いのに働かず仏道修行をするでもないのは人生無駄にしているようなものだ。まるで魚のいない池にじっとしている水鳥のようだ。
仏道とは苦をいかに排除して生きるかを目指すものなので、怠けることは苦であると考えます。
世界の宗教が労働は罰、奴隷や卑しい身分にさせるという考えを放任している中で労働やお金の使い方に関することまで言及するのが仏教。
お坊さんこそ、お金の使い方にこだわるべきではないかと個人的に思って止みません。
お釈迦様と投資
思慮深い人は物惜しみせず、みんなのために皆のために施しをするものだ。
一般的に「施し」といえば見返りを求めないボランティアや寄付という印象を受けやすいですが、ここでは相手のことを真に思って行う心をいいます。
参考:増一阿含経13巻
思慮深い人は物惜しみせず皆のために広く施し莫大な富をえるでしょう。
施すとは慈悲心をもって相手のために何かを行うことです。
つまり施しの気持ちや行為こそが人生最大の投資という考え方もできますね。
「親切はひとのためならず」という有名な言葉にも共通する点です。
「施し」の対局は「物惜しみ」。
物惜しみは仏教として苦しみの一つに数えられます。
その解毒作用として大きく効くのが施しの存在です。
2022年から日本の高校の家庭科でお金の勉強、主に投資信託の知識を導入する事が決定していますが、これには賛否両論あります。
個人的に気になる点はお金がお金を増やすという部分に終始してしまうことです。
増やしたお金をどう扱うべきか、ぜひそこまで指導して貰えたら仏道に携わるものとしては嬉しいかぎりです。
もっと言えば、そこに施しのための支出があればなお結構。
複雜多様化した現代社会で25%を預金や投資に回すのは少し厳しいかもしれませんが、この意識を持って収入を分割し生活することが尊い修行であります。
早速自分ルールを作って実践してみてはいかがでしょうか?