僧侶のつぶやき

お金の勉強シリーズ 世界の宗教と労働を俯瞰してみよう

こんにちは!トムです。

突然ですが、皆さんは生涯お金に困らない状況が訪れたらどうしますか?

南の島に移住してのんびり暮らす?

好きな物を買いまくる?

大きな家に住む?

高級車に乗る?

長年の夢が叶うともちろん幸せですが、悲しいかな物質的な幸福はすぐに飽きてしまいます。

そして今まで忙しかった人生が急に暇になると空虚さと人生への焦りが募るものです。

だからお金を手に入れる事と真の幸福はシンクロしません。

しかし、近年欧米のアーリーリタイヤメントブーム(FIRE)に憧れ、30代、40代で経済的自由を手に入れることを夢見る風潮が非常に強まっています。

前回の記事ではキリスト教の考え方がベースとなったアンチ労働感について書きましたが、世界を見渡すと実は労働を美徳とする我々日本人はレアな存在であるということがわかります。

今回の記事では地球規模でその他の宗教と労働感も俯瞰してみたいと思います。

 

世界の宗教と労働感

アーリーリタイアが理想の欧米

欧米型の考え方の基礎になっているのがキリスト教で、労働感も聖書の影響による「労働は神の与えた罰」という風潮が未だに根強くあります。

アダムとイブの話は有名ですね。

悪魔の化身である蛇がイブに対し「この実(りんご)を食べると死んでしまうと神様が言ったそうですが、死ぬどころか食べると賢くなって、神様のようになれますよ」と言葉巧みに誘い、イブはとうとう口にしてしまいます。

そしてイブに勧められたアダムも食べてしまいました。

怒った神はアダムに「死ぬまで額に汗して糧を獲なさい」、イブには「陣痛の伴う出産を与える」とそれぞれに罰を与えました。

しかし週の1日だけ労働から解放され神に祈りなさいというタスクが与えられました。

それから安息日と呼ばれる日曜日です。

これは、神が世界を創生した際、7日目に休んだという創生神話に由来します。

だから日曜日に働くことは神に逆らう行為です。

カトリック国では日祝日の労働はダブルペイと呼ばれ日給2倍デーとされるケースもあります。

こうやって労働も休日も神の意思に従うという考えがキリスト教の根底にあります。

興味深い話ですが、欧米では学童に教室の掃除をさせないようです。

 

 

労働は罪という考えが根底にある西洋諸国では成功者は早くに引退して悠々自適に好きなことをして暮らすという理想があります。

つまり労働は美徳ではありませんから一生困らないだけのお金を手にしたら労働する理由がないということですね。

資本主義アメリカでは貧困層に多いのが労働は罰という考えのカトリック教徒、日本と同じように労働を肯定するプロテスタントは富裕層率が高いという統計があります。

 

ユダヤ教

ユダヤ教では労働は尊い事だと位置づけられています。

さすがユダヤ人は世界の金融を牛耳ると言われるだけの事はありますね。

昔はキリスト教徒からはユダヤ人は金儲けに熱心とかで陰口をたたかれることがありました。

お金に関わる仕事は卑しいという考えがあったからなのですが、もともと労働に対する価値観も違っていました。

ユダヤ教ではそもそも神は世界を創るという労働を行ったという考え方を持っています。

そして、アダムとイブが行った罪はユダヤ教では個人の努力によって救済が可能です。

礼拝や労働が救済のための努力とみなされます。

一方、キリスト教では救世主によってのみ救済されますが、ユダヤ教にも救世主の考え方はあります。

しかし、救世主は罪を償うための存在ではありません。

ユダヤ人の国を再興し、民族全体を救うのが救世主という立場ですので罪の償いは個人でも可能と考えます。

しかしキリスト教との共通点として安息日には労働をしてはいけません。

 

儒教

古代中国や韓国では身分の高い者が頭脳労働を行い、身分の低い者が肉体労働を行うものであるという考え方が根強くあり、それはひとえに儒教の考え方に基づくものです。

肉体労働をしている家庭では子供に教育を受けさせられない貧乏な家庭と考えられます。

これは表向き隠されていますが、現実問題として現在も通説な気がします。

 

仏教

仏教は労働については肯定的です。

つまり人生すべてが修行という考えなので当然労働も授業の一環だと理解するのか自然ですね。

仏教の考え方の基本がこの世に生まれ落ちた瞬間から生老病死という苦を背負い、そこからいかに解脱するかというのが仏教の目指す理念であり、修行と善行はそのための根本です。

特に日本では仏教と神道が融合し現在の日本仏教の基礎を作っていますのでなおさら労働は尊い修行という位置づけがなされています。

この仏教と労働、お金については改めて別記事にて深堀したいと思います。

 

ギリシャの奴隷制度

 

古代ギリシャでは労働は苦役の一種とみなされていました。

ギリシャ神話に出てくる神々は快楽が大好き。

そこに労働を奨励するという思想は一切入らないので、労働は罪というキリスト教聖書への影響がうかがえます。

ギリシャの人々は優雅に生活し、哲学や政治の話、そして弁論や娯楽に勤しみました。

辛い作業は奴隷にやらせるというのが基本理念です。

 

労働の変遷

こうして見渡すと、働くことを根本的に美徳とする考えは世界的には珍しいことだと言えますね。

神道やユダヤ教にその考えは残っています。

しかし文明が進み人々が知識や知恵を身につけると肉体労働の価値は相対的に低くなりました。

つまり知恵のある者はより楽をしようとします。

特に奴隷制度を持つ国では肉体労働は奴隷の役目と考えられます。

もともとは庶民の苦しみを救済する役割りの強い宗教ですが、結局は権力者の都合の良い手段として使われてしまう運命を感じてしまいます。

日本も近年ブラック企業がはびこり、悪しき宗教のような要素が多分に含まれ自ら労働せず搾取を行いますが、ぜひ労働(作務)の意義を熟考し、幸福度を高めるための存在として探求していきたいと願ってやみません。

 

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TOM

酒とゴルフとお遍路が大好きな僧侶TOM。国内外のビジネスオーナーとして日々邁進中。

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