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お金の勉強シリーズ なぜ欧米人は長期遊べる?宗教と労働の関係が面白い

こんにちは!トムです。

日本人は世界一勤勉な国民だと自信を持って言えます。

しかし、この30年一向に平均年収は上がっておらず、他の先進諸国から随分とおいて行かれ未来がないとさえ言われています。

そんな中、突然襲ってきたコロナ経済ショック。


そして日本経済復興の最後の砦とさえ言われた東京オリンピックも史上稀に見る大失敗。

だからこそ働く意味を深堀りすべき時代の到来だと想います。

そこで今回は宗教と労働について触れ、その原点を顧みたいと想いますのでお付き合いください。

 

宗教と労働

現代社会においては労働に社会貢献、喜びそのものを求めたい、または労働を通じ価値観や自分らしさを追求したいと思っている人が増えました。

 

STAFF MARU
昔は働かざるもの食うべからずで食べるための手段でしたよね
TOM
そこから仕事も人生も多様化したってことやね

 

ただ、日本以外の国の中には労働の優先順位が低い国もたくさんあります。

わかりやすいのが欧米人のロングバケーション。

日本だと1ヶ月休んだらほぼ席はなくなっているという現状・・・

しかし、欧米では休みに使命感すら感じます。

つまり、日本はいっときでも休むことに罪悪感を覚え、欧米では働きすぎることに罪悪感を覚えます。

 

キリスト教では「労働は罪」

キリスト教では労働は罰であるという教えをよく聞きます。

古代ギリシャからローマ時代までは労働することは苦しみの対象とされてきました。

つまり労働の刑ですね。

 

STAFF MAEKEN
日本もブラック企業での労働は苦しみですけどね
TOM
つまり奴隷ってことね

 

古代ギリシャでは、生きる糧を得るためにの行動は動物が獲物を捕まえることと同一視され、非人間的な行為と考えられていたのです。

当時の人間らしい活動は真理を求める哲学こそが最上級だとされていました。

 

STAFF MARU
ソクラテスとか有名ですよね

 

そして政治的活動や芸術を楽しむことが尊ばれます。

糧を獲る辛い労働は戦争の捕虜を奴隷としてやらせました。

そしてローマ時代へ突入し、働くことの価値観が宗教の中で問われます。

古代キリスト教であるローマンカトリック聖書の中で「働くことは人間が生まれながらにして持っている罪を償うための罰」とはっきり書かれてあります。

アダムとイヴが神から禁じられていたリンゴを食べてしまい、アダムは自分で耕して食べ物を作れ、イヴには妊娠・出産の苦しみが与えられたという下りは有名ですね。

ここで少し英単語トリビアですが、海外でビジネスすると必ず出てくる「labor(レイバー)」という単語。

人件費は「labor fee」という項目に該当します。

別の意味に「陣痛または分娩」がありますが、なぜ同じ単語なのに意味が全く異なるのか不思議だったんですね。

しかし、このアダムとイブが禁止されたリンゴを食べた報いという共通点を知ると労働、陣痛分娩で同じ単語だという意味がじわっとわかります。

 

 

アメリカの発展とアンチカトリック

STAFF MARU
しかし、アメリカってキリスト教徒だらけなのに労働命な資本主義の権化ですよね
TOM
おお、実に良い質問やね

 

古代から中世社会での中心的考えだった労働は罪という考え方はプロテスタンティズムによってガラッと一変します。

歴史の授業とかで必ず出てくるルターの宗教改革ですよ。

お金で免罪符を買えば天国へ行けるという意味不明なカトリックを批判し働くことは神から命じられた「自由な行為」であると主張しました。

それがプロテスタントの始まりですね。

労働を肯定するプロテスタントの動きはドイツからイギリスへ伝わり産業革命が起こり、新大陸アメリカへと伝わります。

一生懸命に働き、日曜日に教会で祈りを捧げるスタイル。

こうすることで神のご加護を獲られるという教えで、アメリカでは富裕層の多くはプロテスタントです。

自ら耕した土地が自分のものになるので東海岸から入って西海岸へ開拓。

さらに太平洋のど真ん中ハワイにまで拡張するに至りました。

だから、タイトルに注釈を加えるとすれば、キリスト教は労働は罰であるという表現ではなく、カトリックの旧聖書では罰とみなされていたと言い直すべきですね。

カトリック国といえばイタリア、そしてシェスタで有名なスペイン。

仕事は定時で切り上げ、残業なし。

働くモチベーションは夏のバカンスを大いに楽しむためという労働そのものに対するプライオリティの低さが未だに顕著です。

そして300年間スペインの植民地だったフィリピンはアジアでは珍しいカトリック国でやはり苦労とか努力は好まれません。

最も称賛されるのは資産家の家の出身であること。

そして日本ではバレたくないコネ入社も堂々と自慢の種になります。

 

 

日本人が働きすぎる理由

欧米の労働観が宗教と密接に関係しているのに対して、日本の労働観の根底にあるのは家や村社会、そして宗教だと仏教や儒教が強く関係しているようです。

まず家、村社会から考察してみましょうか。

日本では仕事の事を家業と呼びますね。

江戸時代からすでに労働のことを家業と呼んでいました。

そこには二つの側面があり、生活費用を稼ぐための「生業(なりわい)」と社会貢献の「職分」です。

江戸時代は士農工商という身分制度が敷かれ、それぞれが社会の中で一生懸命自分の役割りを果たす事が存在意義の前提とされていました。

こうやって日本は労働が社会参加の絶対条件として価値観を形成してきたんですね。

江戸から明治大正時代を経て、戦後の高度経済成長の中では企業共同体が家族的な存在となり、家と同等の位置づけとなりました。

バブル崩壊まで企業は家族という意識が広がり終身雇用制度もその意識を強化しました。

日本の奇跡の高度成長は会社という名の家族の反映のために働くモチベーションがもたらした結果といえますね。

 

まとめ

労働そのものの優先順位の低いフランスやイタリアをはじめ、個人主義な欧米では働くことは手段であり目的ではありません。

日本は飯を食うためのみならず、村社会における存在価値こそが生きるための大前提という文化が根付いており、自分のために働くという意識は欧米よりも薄いのかもしれません。

真面目に働くことそれ自体が目的化しまった日本人。

平均賃金がこの30年間上がっていないという現実を顧みても、日本人にとって本当の働き方改革が迫られているのではないでしょうか。

 

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