アメリカの捕鯨船に助けられた日本人
こんにちは。トムです!
現在ハワイ出張中ですが、ここで少し歴史的な話に触れてみたいと思います。
アメリカ合衆国の中でも日本人が違和感を感じないのがハワイですね。
なぜなら日系アメリカ人が多い!
詳細はウィキペディアに掲載されていますが、「日系アメリカ人の歴史は19世紀末の移民に始まる。最初の移民たちはハワイのサトウキビやパイナップル畑の労働者として入植した」と記載されています。
しかし、記録によると、江戸時代に日本人がハワイに上陸したという記録が残っています。
江戸時代 名前、出生などの具体的記録は残っていないが、日本人女性が人身売買同然にアメリカに連れて行かれ、売春宿で働かされていたとの記録あり。
1806年、大坂の稲若丸の乗組員8名が漂流中にアメリカ船に救出された後にハワイへ送られ、8名はハワイに初めて上陸した日本人となる。
8名はマカオ、バタヴィアを経て日本に送還されるが、伝染病や自殺により故郷に帰ることができたのは平原善松のみである。
1833年、尾張国の宝順丸が14ヶ月の漂流の末、ワシントン州クララム郡のフラッタリー岬付近に漂着。
生き残った音吉ら3名はアメリカ・インディアンのマカ族に奴隷として酷使された後、イギリスのハドソン湾会社に救出され、イギリスの保護下に入る。
その後、バンクーバー、ハワイ、ロンドン、マカオを経て那覇に送られ、ここでモリソン号に移乗するが三浦半島沖でモリソン号事件が起こったため帰国できなかった。
1841年 土佐国の漁師万次郎(後のジョン万次郎=中浜万次郎)が漁の最中に遭難、漂着した鳥島でアメリカの捕鯨船に救助されハワイに渡航、1843年にマサチューセッツ州に渡り、カリフォルニア州を経由し、1851年、琉球経由で日本に帰国。
日本人の最古の上陸記録は1806年の事です。
当時はカメハメハ大王がハワイ王国を統治していた時代ですね。
日本だと江戸時代のど真ん中です。
安芸(広島)の稲若丸は大坂から伊勢に向かう途中、嵐に遭遇し漂流してしまいます。
当時の船はショボいのでちょっとシケで遭難してしまいます。
伊豆の下田へ流され漂流している時に米国の捕鯨船に救助され、乗組員8名がオアフ島に上陸します。
今では旅行で楽しく行く楽園という位置付けですが、当時の人達にとっては得体の知れない異国であったに違いありません。
それから日本へ生きて戻れたのはたったの2名でした。
詳細は割愛しますが、とても悲しい結末です。
その後も日本人の漂流者シリーズは続きます。
だいたいアメリカの捕鯨船に助けられるんですが、その中で最も有名なのはジョン万次郎。


1841年、土佐で漁師をしていた万次郎は悪天候で船が難破。
当時16歳で見習いとしての初の漁だったそうです。
絶海の孤島「鳥島」に漂着し、水も火もない島で150日生き延びます。
脱水症状に耐えられず自分のオシッコも飲んだそうです。
捕鯨船「ジョン ハウランド号」に救助されホノルルに上陸します。
ここから運が一気に開けてくるですね。
他の仲間はハワイのホノルルで下船しますが、万次郎はそのまま船長と共に旅を続けることを希望。
船内で英語をマスターし、使える男として重宝されます。
船長の息子としてアメリカの学校へ通い、船舶技術等を身に付けます。
アメリカでリーバイスを履き、金鉱堀りまでやって小金を稼ぎ、ハワイに下船した仲間を拾い、一緒に日本へ戻って江戸幕府のお抱え技術者になるという物凄い人なんです。
ハワイと言えばジョン万次郎!
鳥島での生活でまさか自分のオシッコ飲んで生きながらえるとは尊敬意外の何ものでもない https://t.co/X3m9QtWIyV— TomFu (@TomFu83622412) July 19, 2021
他にも日本人のハワイ漂流記は幾つも出てきます。
江戸時代に不運?にもハワイにやってきた日本人の足取りを調べるロマン。
きっとハワイという場所が味わい深くなりますよ。