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「嫌われる勇気」を求める日本人と韓国人の闇 その2

こんにちは。トムです!

近年、日本は同調圧力が凄いという言われ方をしますが、これは今に始まったことではありません。

私の記憶を辿ると「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのがありました。

あと、「出る杭は打たれる」もそうですね。

もう一つ、KYと呼ばれる「空気読め」という社会現象はまだ現在進行形です。

村社会である日本は古来より常に集団の秩序を維持することが最重要課題とされてきました。

これを最も端的に表現したのが同調圧力という言葉なのでしょう。

お隣の国韓国では日本以上にこの同調圧力が凄いようです。

『私は私のままで生きることにした(キム・スヒョン)』という本は韓国で60万部以上売れており、やはり同調圧力に負けず自分らしく生きようとする内容の本です。

前回の記事でも引用したアドラー心理学に基づく「嫌われる勇気(岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著))」という本も日本よりむしろ韓国でさらに売れています。

日本と韓国のお国柄ともいえる同調圧力ですが、コロナ禍の行政指導でも顕著に表れています。

 

 

ちなみに上の答えは①アメリカ、②ドイツ、③イタリア、④日本と韓国となりますね。

 

課題の分離を取り入れよう

上に挙げたアドラー心理学関連の書籍ですが、トピックとして最も日本人と韓国人の関心を引くのが「課題の分離」というテーマです。

自分と他者の課題を分離し、他者の課題には踏み込まず、同時に他者にも自分の課題に踏み込ませないようにするという事です。

ここで大事なのは各論に入る前に、西洋心理学のアドラー心理学がそのまま日本人にとって幸せに繋がるかどうか微妙だということです。

なぜなら西洋と東洋では歴史、宗教、文化社会構造がまるっきり違います。

仏教もお釈迦様が悟った時代から中国で独自に発展し、そこから日本へ入ってきました。

小乗仏教と大乗仏教の違いですね。

日本の仏教は大乗仏教と呼ばれるもので社会(他人)の幸せが自分の幸せに連動します。

だからアドラー心理学の神髄ともいえる自分の課題と他人の課題を切り分ける「課題の分離」を強硬に進めると悲劇が生まれます。

しかし、自殺者が年間3万人を超える日本と、10万人ごとの自殺者割合に換算すれば日本をはるかに超える韓国。

この両国で嫌われる勇気という本がバカ売れしたことからすると、自殺と同調圧力が大いに関係しているといえるでしょう。

だから日本や韓国にとって劇薬ともなる同調圧力中和剤として「課題の分離」という選択肢を持ち、どうしても耐えられそうもない問題に直面したときに、この考え方を投入してみるという手段の一つとして担保するのが良いと思います。

まず課題の分離で得られる実践的メリットとして、余計なことをしなくて済むということがあります。

つまり、悩みの総量が減り心的スタミナが温存できます。

人生は格闘技と同じでスタミナを上手に温存しなければなりません。

だから無駄打ちをしないことを心がけるべし。

「課題の分離」を知識、または手段(技)として手に入れる。

つまり、TOPに応じて使うこともできるというサバイバルツールですね。

選択肢が増えることは非常に有効なことです。

たとえば、学校のイジメ問題。

いろんな敵と戦ってきた経験からすると、クラスメイト40名という少数を敵に回したところで78億人いる世界の人口からすれば大したことではありません。

しかし、通っている学校のそのクラスが唯一の世界だと、そこでイジメられたら絶望的な気分になってしまいます。

たった40名を敵に回しているのに世界中から攻撃されているのと同じことなんですね。

だから選択肢は多いほど生きるのが楽になります。

親が子供に与える有効な手段は生きる選択肢を見せることではないでしょうか?

その学校がダメなら転校すれば良い。

日本がダメなら海外の学校を探せばよい。

アドラー心理学の課題の分離というテーマも知識として選択肢を増やし生きやすくするための手段です。

ところで、課題の分離に関してですが、日本人のタブーへの挑戦です。

日本人は責任を追及するのが苦手なので連帯責任というスタイルが昔から人気です。

そこをハッキリさせることで、自分が勝手に背負っている重荷を下ろすことが出来ます。

そして心的スタミナを温存することができます。

これは誰のせいなのか?

自分のせいだと思わない練習と言い換えることが出来ます。

海外へ行くと、日本とは真逆です。

ビジネスで海外出張に行くと速攻で違和感を感じるのが、謝らないということです。

かなり手続きを待たせられても窓口の人「大変お待たせして申し訳ございません」とは謝りません。

なぜから自分のせいだと思っていませんし、謝るということは損害賠償責任へと繋がってしまう世界でもあるからです。

自分が他人の物を壊してしまった場合等は謝るべきですが、部長が機嫌悪いから自分のせいかもしれないと気を揉むのは今日から止めましょう。

社会に渦巻く同調圧力のせいで余計な物を背負わされ過ぎて自分を追い込むのが日本と韓国の闇です。

ここは戦略的にスルーする練習をすべきでしょう。

またなかなか指示通りにやらない部下へのイライラも同じ課題の分離のテーマに当てはまります。

怒っても自分がすり減るだけですし、アドバイスし過ぎるのも相手の課題に踏み込み過ぎになります。

褒める過ぎるのも同じです。

飴と鞭を使い分ける戦略が古来より一般的ですが、これもやり過ぎると相手の課題へ踏み込んでいることになり、賞罰教育の弊害へと結び付きます。

海外では褒められないとやらない部下になるのを避け、作業の出来に対して具体的に褒め、君は凄いとか人物的な評価は避ける風潮にあります。

村社会日本では他人の詮索をせずにはいられません。

農業を中心とし独特の狭いコミュニティの中で生きてきた歴史から強い同調圧力の中で結束して同じことをして生きてきたことが大きな要因です。

個人主義的な風潮のある西洋文化に対し日本文化は集団主義的であるとも言われます。

そこから生ずる心の闇。

異文化の劇薬が時には有効となります。

TOPに応じて使える武器を持っているだけで心に余裕が出てくると思います。

最後に、人生を格闘技に例え、常に心のスタミナを温存する意識を持ちましょう。

 

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