こんにちは。トムです!
前回の記事の後半で北風と太陽について少し触れましたが、実は仏教的な教えと深く重なります。
今回はそのお話を書かせて頂きます。
イソップ物語で最も有名な話の一つとして北風と太陽の話があります。
あらすじをザっとおさらいしてみましょう。
あらすじ
ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。
そこで、旅人の上着を脱がせることができるかという勝負をする。
まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。
しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
次に、太陽が燦燦と照りつけた。
すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。
教訓
手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり着実に行う方が、最終的に大きな効果を得ることができる。
また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点もうかがえる。 引用元
腑に落ちない点
北風が乱暴で太陽が優しいというは正に人間の先入観。
寒い大風を吹かせることしかできない北風は自分が出来ることを一生懸命やったのです。
一方、太陽も同じ。
カンカン照り攻撃を旅人に向かって行ったことが果たして優しい行為でしょうか?
一見、北風の方が厳しく、太陽は陽気な感じに見えますので寓話のもつ教えを作る際に都合が良いのかもしれませんが、旅人が暑がりだったら評価は逆かもしれませんね。
北風に感謝する可能性さえあります。
仏教的な捉え方
実は隠された話があるんですね。
旅人の上着を脱がせた方が勝ちという競争は第2戦目で第1戦目は北風が勝利してるんです。
第1戦目の内容は、旅人の帽子を脱がせた方が勝ちっていう競争だったんですけど、先に太陽が仕掛けてかんかん照りの暑さを旅人に食らわせたら、旅人は太直射日光から頭と顔を守ろうと一層深々と帽子をかぶってしまいました。
その次に北風が大風を吹かせたらパッと帽子が飛んでしまい北風の勝利。
しかし、北風の勝利を伝える第一線の情報が封印されているのはなぜでしょうか?
北風も太陽も、1戦目でも2戦でも、全く同じことをやって結果が変わった。
これを表に出すとその太陽の暖かいイメージとアプローチというものが説明できなくなってしまう。
そこで大人の都合で北風の勝利が隠されてるのではないかと思うんですね。
ここで、仏教の教えの「広い世界に目を向けましょう」という部分が登場します。
偏った価値観にとらわれず自己否定をしないことです。
つまり、北風は状況が変わると勝者となり評価されますが、一方、太陽はステージが変わると、敗者となり評価されない結果となり得るわけです。
その時たまたま出た結果で自分に低評価ボタンを押してはならない。
それが仏教の幸せになるための考え方ってわけですね。
イソップ童話の作者がどういうことを伝えたくて書いたのかはさておき、仏教的な思想でこの寓話を読むとこういう解釈となります。
どうですか?
この話、お子さんや、誰か落ち込んでいる人に話してみたくなったのではないでしょうか?