断捨離って誰が作った言葉なの?
皆さんは断捨離という言葉をご存知ですか?
2010年に新語・流行語大賞にノミネートされた「断捨離」は非常にセンセーショナルはブームを巻き起こし一躍有名な単語となりました。
ところで、断捨離を仏教用語だと思っている方は多いですね。
ちょうど断捨離という言葉が流行り始める少し前、ミニマルライフという物に囲まれないシンプルなライフスタイルが急に脚光を浴びるようになりました。
思い切って趣味の物を捨てたら一気に人生が楽になり感性が豊かになり始めたとか、そういうライフチェンジが話題になりましたね。
古くは沖正弘氏が提唱したヨーガの思想で1976年の著書『ヨガの考え方と修業法 上巻』において「断捨離」という語が使用されています。
そして、作家のやましたひでこ氏が断捨離を提唱し、商標登録しました。
仏教というよりはヨーガ(ヨガ)の行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応します。
- 断:入ってくる不要な物を断つ。
- 捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
- 離:物への執着から離れる。
すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。
やましたが2009年に出版した『新・片付け術 断捨離』(マガジンハウス)のヒットにより一般に知られるようになった。やましたは同著書や自身の公式ウェブサイトにおいて、自身を「断捨離の提唱者[3]」とし、自身のブログのプロフィールでは「断捨離の言い出しっぺ」、著書の内容紹介では「断捨離の考案者」であると記している。
やましたの著書のヒットにより「断捨離」は流行語となり、翌2010年には新語・流行語大賞にノミネートされた。「断捨離ブーム」によって、やました以外にも多数の著者により断捨離を扱った本が出版されるようになり、仕事[7]や人間関係などについて断捨離の実践を勧める書物も出版された。
この大ブームを巻き起こした「断捨離」ですが、仏教用語ではなくとも仏教の教えと密接な関係があります。
単に物を減らすことではなく、どちらかといえばメンタル的効果に大きく作用します。
資本主義の消費社会では市場にモノや情報が溢れ、とにかく自分以外の外部へ関心が向かってしまいます。
情報化社会の特徴ともいえますね。
そこでは物を消費する事こそが至福であり、所有物の点数や価格が大きければ成功の人生だとされています。
しかし、仏教の教えは人生という苦行のステージから煩悩を引くことで幸せになるという資本主義とは逆行した考えが基本です。
外部ではなく自分の心と体に感心を向ける大胆な方向転換。
古来から仏教の修行では、欲望を捨て去り、俗世を離れ、肉や魚も断ちます。
日本の伝統的な考えである「もったいない」精神は使い方によっては毒にも薬にもなります。
- 勿体ないから使えるうちは新しいモノを買わない。
- 勿体ないから不要な物をため込み捨てない。
もちろん前者こそが断捨離としての「もったいない」の考え方ですね。
仏教的視点から断捨離を読み解く教え
ここからは仏教的な視点から断捨離を読み解いていきます。
元となった「断行」、「捨行」、「離行」の3つの行の意味をきちんと知ることが重要!
しっかり理解することで、本当の意味にたどり着くことができ、断捨離を失敗することもありません。
それぞれの意味を詳しく解説するので、ぜひ参考に実践してみてください。
断ち切る行の「断行」には3つの意味があります。
- 入ってくるものを断ち切る(買わない、貰わない)
- 欲望を断ち切る
- 習慣を断ち切る
除夜の鐘。
人間には108つもの煩悩があると考えられています。
煩悩とは人間の苦しみの元になる考え方や生き方の事です。
特に三毒と呼ばれる「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんい)」「愚痴(ぐち)」は三大煩悩。
- 貪欲とは執着や必要以上に求める心
- 瞋恚とは怒りや憎しみの心
- 愚痴とは真理(正しいこと)に対する無知な心
「愚痴」とは真理を知らないという事を意味し、煩悩を生み出す源だと言われています。
そんな煩悩から生み出す毒「悪い習慣や欲望」や「不要な情報」を捨て去るべきです。
そして「捨」とは執着心を捨てるということです。
それと争わない「中立」「平和」という意味も含まれます。
仏教における出家は、それまでの全てのモノを捨て去り、托鉢で頂いたモノだけで生活をします。
断捨離においては家の中に溜まったモノを処分することを指しています。
執着を捨てる具体的な行動です。
また、「中立」「平等と」は特定の人やモノに執われないということなので、一般生活において、仕事、人間関係における特定の執着心も捨てます。
そして、嫉妬や見栄からの解放へと繋がります。
「離」今あるモノの大切さを知る。
捨てるばかりではありません。
余計なものを買い込まないために、今あるものを大切に扱います。
そして、欲にまみれた俗世から離れ、静かで何もない環境に身を置くことで足るを知ることになります。
トムの仏教雑学
ちなみに、断捨離のことを仏教では放下着(ほうべじゃく)と呼んでいます。
これは禅宗の写経なのでよく使われるものですね。
僧侶トリビア
放下着(ほうべじゃく)
心の断捨離。
仏道の最終到達地点は捨ててしまうこと。
精神科から貰った大量の薬を止めてしまった途端元気になった人を知っています。捨ててこそ分かることがある。旅も軽装の方が良いと言われる所以だろう。— TomFu (@TomFu83622412) May 17, 2021
正に、断捨離は在家出家のように、世俗の中に身を置きながら最大に出来る仏教修行だと言えます。
最近ではメルカリで不用品の売買が流行っていますが、物を捨てずに回す意味ではこれも断捨離の延長上だと思います。
思い出も愛着もあるコレクションはなかなか捨てづらい。
でも実際には何年も使ってない・・・
それでも幸せになりたければ心を鬼にして捨てろという断捨離の方向性ですが、メルカリで誰かに使って貰う方法が最善でしょうね。